こちらは香川文フリ2②の続きです。ややこしいタイトルで申し訳ない。
朝食とやっと饂飩

目が覚め、「起きないといけない」と思うときほど憂鬱な時間はない。しかし、ここには自分しかいないのでやはり起きるしかないのだ。
朝食会場はバイキング方式で、私は欲望のまま皿の空白を埋めた。そこで初めて私は饂飩にありつけることになったのだ。饂飩の他にもサラダや肉、美味しそうな香りのするものはあらかた乗せた。
私は毎回バイキングのパンを適切に焼くことが出来ない。時間管理やほかの人の目があると、私はチキンになる。いつもチキンではあるが、ささみは大好きだった。痩せはしないくせにだ。好きなものをお腹いっぱい食べる喜びに勝るものなどないからだ。
饂飩は美味しかった。他の物も十分美味しかったので、良い朝を始めることができた。
初めてホテルでタクシーを呼び、私は荷物を持って待合室で準備した。電車は昨日のこともあり、使うのが億劫だったためだ。車社会だと痛感しながら、私はホテルの従業員の方に呼ばれてタクシーへと乗り込んだ。
高松シンボルタワーへ
タクシーの方が気軽に話しかけてくれるので、私は上機嫌でタクシーを降りることが出来た。この日のため、というわけではないがずっと欲しかった錦鯉柄のアロハシャツをはためかせ、私は高松駅に降りた。降りてすぐ、ICカードの履歴を削除して貰い、高松シンボルタワーに向かった。
文学フリマは開場前に設営ボランティアを募る。できれば私はそれに参加する。単純に面白いからだ。机の設置や机のカードを貼る作業は、空っぽの会議室が会場に変わる様を見せてくれる。そして、設営作業に参加する人の顔ぶれを見るのも私は好きだった。みな、何かしら理由があって作業に参加するのだろうが、誰かと作業をする体験は案外少ない。会社の仕事とは違う。給料はもちろん発生しない。疲れる、それはそう。だが、私はこの作業が面白い。会場を作る一端を担えるのが感慨深い。次の札幌ではボランティアから参加できないことを心から悔やむ。
会場では軽く何名かの方と話をした。他愛のない、どこから来たかなどの会話に、私はボランティアに参加して良かったとも思う。
イベントが始まると簡単な会話すらも私は躊躇するので、こうやっていろんな人が参加しているのだと感じれるのが嬉しかった。


(上記の写真は文学フリマ香川2で支給された竹うちわ。風扇堂の会社から文学フリマ会場に頂いたものだ。)
その日はボランティアの作業は配布資料を配るだけであった。そして、早めに設営をさせてくれる。最初は私はそれが目当てだったが、初期は設営するものもたいしたものではなかった。しかし、だんだんと「相手の目に留まる」ブースを考えていったとき、トランクを使用した設営を考えて会場に置くようになってからは、この早めの設営がありがたいと思うようになり始めた。


(上記の写真は設営した私のブースである。設営後は必ずXにハッシュタグをつけて流す。)
香川文フリ2 本番
本番前に時間があったので近くのお土産屋に寄り、購入した後すぐに開場した。
文学フリマの会場は年を追うごとに大きくなっている。特に東京はビッグサイト、大阪はインテックス大阪だ。あまりに広くて回りきれた試が一度もなかった。しかし、香川の会場は良い意味で小ぢんまりとして人の行き来がしやすい。広島はもう少し大きかったが、これぐらいがちょうど良いのかもしれない。決して大きな会場が悪い意味ではない。
「中身が分からない」のを売りにしているレター式ノベルだが、もう少し工夫を凝らしてみようという考えに至った。それだけでも、私には参加して良かったと思える。
封蝋で手紙に封をする、という案から始まり、封蝋の形と金の化粧をするという形に収まった。
短編で6000字程度。
改良の余地はあるので、回を重ねるごとに良いものにしていこう。
私は三時にはフェリーに乗って神戸港に戻らないといけないので、昼食は遅めにとった。
すぐに食べたかったので、手軽そうなうどん屋に入った。それが良い判断だった。
咄嗟に向かったので写真は撮れなかったが、肉うどんとささみとさつまいもの天ぷらだ。饂飩のこしも良く、注文して十分以内には平らげたように思える。そしてすぐに席に戻り、周囲に挨拶をして私は早めにブースを撤退した。
帰り
帰りのフェリーは高松東港から搭乗するらしく、私はまたタクシーを使った。運転手の方に重いキャリーケースを持ってもらうのは申し訳なかった。
神戸港と比べて随分広い待合室に到着し、今度は「りつりん2」に乗船した。
私が高松に向かった「あおい」は「りつりん2」より新しいのだと、朝のタクシー運転手に聞いた。しかし、「りつりん2」の方が私には懐かしく感じた。キャリーケースを止める金具は無いが、席に座ってのんびりとしているのが心地よかった。太陽が沈みゆく様子は、暗色に沈む空と海でよく分かった。
イベントが終わり、安心した私は空腹を感じた。
オリーブポップコーンとゼロコーラを口にして尚、「やっぱり饂飩が食べたいなあ」と「オリーブ牛のキーマうどん」を注文した。写真がないのは残念だが、とても美味しかった。キーマカレーと饂飩の汁が最高に合っていて、一日越しでフェリー飯を堪能して私は席に戻った。
kindleで本を読みつつ、私は暗い海上にぽつぽつ明かりが見えるのを確認した。
神戸港だ。
時刻は午後九時に差し掛かろうという時。
二回目の下船はスムーズに行き、だがやはりドキドキしながら私は三ノ宮行きのバスに乗った。大きな荷物は公共交通機関には不向きだ、と思いながら三ノ宮に到着し、私は予定調和のように電車に乗って帰路に着く。
お土産を母に見せ、風呂に入り、慣れ親しんだ自室に戻る。
家に到着した辛口ジンジャーエールを口にして、私の旅は終わった。そしてまた、八月に札幌に向かう。
その時のためだけに用意した本に着手している。その息抜きにこれを書く。
この繰り返しが何度続けることが出来るのか、と考え始めたらもう終わりだ。しようがない。
毎日を考えろと誰かが言った。明日、明後日も大切だが、今を考えろと。今を生きろと。
その言葉を誰が行ったのか、忘れっぽい私は覚えていない。
好きな映画や本や音楽なら覚えてるし、そもそもありきたりな言葉なのでたいていの人は言っているだろう。
臆病な私は今を生きる勇気が必要だ。ずっと、これまでも。
勇気があれば何でも出来る。
この話はここで終わりだ。
もしこの話を読んでいる人がいれば、次のイベントで会える日を楽しみにしている。
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