木目に散らばる黒い曲線は、床の直線を乱していた。汚く、不愉快で、忌々しい。さしもの私も、良い言葉が出てこなかった。
一本に手を伸ばす。自分から出てきたものなのだろうが、抜けてしまうとなぜこうも汚らしく見えるのだろうか。窓から差し込む光に当てると、空気中の埃のカスが煌めいた。そこに毛を当てると、髪の毛に油が混じっているのが見える。これも、私のものだった。ものだったものだ。
毛の根元は白く丸く、ぎとぎとと丸々としていた。油の塊だ。白っぽくていけない。私は、ひょいとごみ箱に投げ入れた。そして足元を見ると、まだまだ沢山の髪の毛があるのが分かった。
これが嫌だから髪を短くしたのに、意味がない。
毎日毎日床には髪が落ちて、余計なものをベッドや机から落とすたびに凹み、床の木目ははがれて白い中身が見えていた。汚い。この部屋はとても汚い。
指紋だらけの大きなスマートフォンに手を伸ばして、意味のない情報を指紋で触れて眺める。髪の毛を集めようとしたが、手が勝手に携帯を操作していた。私の行動を操作するように、強制的に。
ふと、開発者のユダヤ人のことを思い出した。彼は、スマートフォンを子どもたちには絶対に持たせなかったという。私はなんとなく、ベッドに携帯を投げ捨てた。携帯から手を離すにはこれが一番得策。
ずっと見てしまう。
掛け布団シーツの中で滅茶苦茶になっているベッドの上に沈む携帯を見て、私は床に蹲って毛を拾い集めた。手ですくうと、だいたい十本は集まる。そして藁のようになり、蟲のようになり、私はこの小山を手のひらで温めた。
汚いが、私だった髪と油を、私は底の汚いごみ箱に掬って捨てる。
その繰り返しを、明日、いや、三週間後にまたするんだろう。
いつまで続くのだろう。
私はふと外に出たくなり、他人が見てもまったく分からない衣装棚を漁った。形の良いシャツと刺繍の施された襟をなぞって、私の気分は決まる。その凹凸が私を満足させ、袖を通す気分になり、股に穴が開いていると最近気づいたジーパンに足を入れる。
指先がベルトの金属に弾かれ、指に固い痛みが奔った。しかし、私はムンズと掴んでベルト穴に蛇のように回した。これでいい。これがいい。どこに行くかは後で考えよう。
家を出て、私は街の図書館に足を運んだ。
「いいお天気ですね」
話しかけられて、カウンターでいつも笑顔の女性に微笑み返す。人の顔は見れない。しかし、この街の図書館のカウンターの女性はいつも素敵な声と笑顔を持っていることは分かる。上辺だけの笑顔が、私はとても怖い。私もその笑顔を持っているのに、おかしな話だ。
「天気が良すぎて、まいっちゃいますよ」
「でも、午後は大雨だそうですよ」
「本当ですか」
驚いてつい視線がカウンターの彼女と合わさる。メガネの歪曲した眼鏡のガラスに、私のコンタクトレンズで覆われた眼球が視線でかちあった。優しい顔だ。いつもこの人だったろうか。この人は、この図書館に来た人みんなに声をかけているのだろうかと、ふと興味が湧いた。
「傘の貸し出しもしていますので」
声にこたえる様に頬をあげて、会釈する。空いている席に腰を下ろして、ふとため息の出ない自分に気づいた。お茶もいらない。食べ物もいらない。本があればいい。時間が許してくれるまで、ここにいれたらいい。あのひっくり返した部屋を思うとまた気持ちが暗くなるが、部屋には部屋の、私なりの空間があるのだ。
鞄から携帯を取り出そうとして、ふと、ベッドの上だと気づく。
そんな自分の愚かさに失笑しながら、髪の毛が一本抜けた。
───────────────────────────────────────────────────
なんとなく書いてみた。久しぶりの生簀噺。
最初はXでのつぶやきから始めていたが、「文章を書く練習」としてここで書いていくことにしよう。
物語未満、呟き以上を目指して。
これは、床の毛と外出の時に書いてみようと思った生簀話だ。
コメントを残す