「フクロウを描きたいのであれば、フクロウに君自身がなることだ」
またこの人はおかしなことを言っている。私は、ある画塾に最近は言ってきた只の女だが、私には耳が良いという点しか良いところがない。長所は盗み聞きができること。短所は音に敏感なこと。そして、最近画塾の面白い生徒の話を盗み聞きするのがマイブームだった。
「はあ」
そら、可哀相な人が困っているぞ。
「人を描くのであれば、その人になれ」
このおかしなことを言う女は、画塾で一番絵のうまい女だった。そして、厳しい先生からの叱咤も自分の技術にしてしまう。私が密かに尊敬している女だ。この女に私は一度も声をかけたことが無い。かけたところで、面倒ごとに巻き込まれてしまう。
「そんな無茶な」
画塾に入りたての少女は、絵のうまい女に悲痛な声をあげる。しかし、女はそんなこと全く理解していないのだ。頭の中はおもちゃ箱から兵隊の玩具や汽車が線路を走っている、そんな女だ。理解しようとか、友達になろうとか、傍に居て技術を盗もうなんて思っても仕方ない。だって、私たちのような者には到底理解できない女だからだ。彼女自身も、彼女を分かっていないのかもしれない。
しかし、そんなことは分からない。私は恐らく一生彼女と口はきかない。
「君は何を描きたいんだ」
珍しく譲歩した女に、私は悋気した。しかし、何も思っていない風でイーゼルに向かう。
「うまくなりたいんです」
「なぜ。絵が上手くなっても仕方ないじゃないか」
それを言うなら私たちが決して安くない金を払うのがバカみたいじゃないか。
黙りこくる少女から、私は微かにすすり泣く声が聞こえてぎょっとした。今は自由時間だぞ。貴方の無神経はそこまでにしてあげて。
「うーん。泣くような質問はしていないが」
「すいません」
「謝っても私はどうしようもない」
「おっしゃるとおりで」
なんなんだ、と思いながら耳をそばだてる私の絵がどうだ。集中しろ、と私は思うが頭がくわんくわんして仕方ない。
「描きたいと思った経緯を聞こう」
「死んだ犬に、もう一度会いたくて」
「死んだ犬は絵を描いたら復活するのか」
「その、違います。写真を見て、私の中に再びあの子を作り直したいんです」
はあはあ、それでこの画塾を選んだのか。全く持ってこの少女もおかしなことに熱をもったもんだ。パレットの上でアクリル絵の具を大胆に混ぜながら、私は色を作っていった。
「なら、吠えてみろ。死んだその犬になりきるんだ」
「ハ、ハ、ハ」
「なにがおかしい」
その女は笑われることにえらく敏感だ。それだけしか私はこの女の情報を知らない。絵が上手くて、笑われるのが苦手な口もきいたことのない女。
「いえ、私の犬は鳴かないんです。代わりに、いつも舌を出して息が荒くて、散歩の時になったら、リードをいつも引っ張って、尾っぽを振って」
再び声が滲む少女の声。声はそんな彼女に共感することを知らない。
「ハ、ハ、ハ。こうか。この犬は随分と元気だな。真似をすると、体に活力が満ちてくる」
「はは」
あ、笑った。
この女は人の心が知らないくせに、純粋なのかなんなのか、たまに人を愉快にさせる。私はそんな彼女を見て常に飽きた心地はしなかったが、絵筆はよく滑った。誰にも見せない、誰にも知られない絵を描いた。
「おかしな絵ですね」
同じ画塾の顔見知りに失礼なことを言われたが、私はどうとでも良かった。
おかしな二人の会話を聴いて描いた支離滅裂な絵は、私を一生慰める。
それだけで十分なのだ。
コメントを残す