
(表紙はCanvaで編集したものです。写真は高松屋島から見えた岳とジャンボフェリーで飲んだレモンジンジャーです。)
初めて香川の高松市にお邪魔し、香川文学フリマ2にも参加せていただきました✨
初めてのフェリー
初めてのクロスバイク
初めての高松シンボルタワーでのブース設営
旅って面白いな~と感じたので、つらつら書いていきます。
【一日目 2025/8/2】
早朝の電車に乗り、神戸港に向かった。
フェリーを乗るのであれば、一時間前に乗り場についていた方が良いとネットに書かれていた。
前日の十二時まで、荷物や作品の準備をしていてとても眠いはずだった。しかし、緊張で眠気が吹っ飛んでいたのか足取りは軽かった。しかし、乗り場につくとフッと力が抜けてしまう。
いけないいけないと、買ったことのないパッケージの桃ジュースやブラックコーヒーを飲んで目を覚まそうとする。
だがまあ、三十分ほど寝て乗り場がザワザワし始めてきてから、私はようやく私はゆっくりと体が起き始めたようだった。
予約用のQRコードを手に入口を進み、フェリーに乗り込んで思いキャリーケースを担ぎあげた。
階段はカンカンと頼りない音がしたが、船内は明るく新しかった。
私が高松に行くのに乗船した「あおい」は比較的新しい船だと知ったのは、翌日のことだった。高松のタクシー運転手と雑談している際、そんな話になったのを覚えている。
だが、八月二日の私にはとんと知らないことなので、私は船内を隈なく詮索する前に早く自分の席を見つけるのに躍起になった。
入口に至るまでの長い階段を上って船内に入り、自由席と書かれた雑魚寝スペースを私は目ざとく浚った。そして、入口の右手の八人ほどの真ん中あたりに座ろうと決めた。
移動に邪魔なキャリーケースを傍に置いて鍵をかけ、空いたスペースに滑り込んだ。すると、ふーっと安心する。
移動の最中は自分の居場所は自分で決めなきゃいけない。当然だ。
電車でも、待合室でも、フェリーでもだ。
母から借りてきた青緑のモンベルリュックを漁り、充電口に充電器を差す。携帯の画面に透明なドラム缶が現れ、緑の液体が三分の二ほどを占める様子が映し出された。
この映像は毎回見るが、なんでこんな画面なんだろう。
携帯の電波は海の上では繋がりにくい。
自由席に私の大きな体を入れて、入口の様子を伺った。
家族連れ、カップル、友人どうし、一人、大人に子ども、女や男。和気あいあいと孤独、笑顔と浮かない顔。
ああ、今自由席スペースに入ってきた初老の男性は、困ったように周囲を見回している。うーんと悩んだ顔をして、私の寝転ぶスペースの更に奥に進んでいった。
人の心の中を読めなくても、こういうときは相手の気持ちが痛いほどわかるものだから、私はあまり周囲を見ないようにした。
リュックの中から、大阪公立大学図書館で借りた本を取り出した。
志賀直哉全集は重いし、高価だ。だから図書館で借りた。
志賀直哉を借りたことに、特に意味などなかった。いつか図書館の文豪全集を読み切ろうと思って、まったくそんなこと出来なかった。私は無謀なゴールを意気揚々と立てても、達成までの計画はまったく立てないからだ。だから、今年こそはと懲りずに志賀直哉から借りようと決めた。短編が多いので、読み易いだろう。
小説を書く癖に、私は忍耐が弱い。
ネットのせいだろうなあ。いや、自分のせいだろう。
私は「志賀直哉全集①」の「菜の花と小娘」「或る朝」「網走まで」「速夫の妹」「孤児」を読んだ。
全集の初めに挟まれている「月報」には「焚火」を読んで感動したとテッド・グーセンという方の言葉が並んでいる。なのに、全集①には収録されていなかった。
おかしなもんだ、と首をあげて、私は「そういや饂飩を食べてない」と思いつく。出向前は、さんざん香川の饂飩を食べたいと思っていたのに、私はすっかり忘れていた。
しかしその前に、暇なあまり私は船内を捜索することに決めた。




以上の写真は私が船からスマートフォンで撮った写真だ。
「明石海峡大橋の下を通ります」とアナウンスが聞こえたのは、船の中に一度帰ってからだった。
船の二階の側面ベンチに私はしばらく居た。しかし、フェリーが移動したことによって日影がなくなり、私は逃げるように船内に走っていったのだった。そのあと、「明石海峡大橋の下を通る」という声に、私は再び外に出てきた。
写真の通り、雲は数えるほどでまさに青天だった。
船は沈むこととはないだろう。
気分の問題ではあるが、私は遠出の前には仏壇で少し長めに勤行をあげる。こういうことは、あまり旅行記に書かない方が良いのかもしれないが、遠慮していたら旅行記は一体何のためにあるのか。
私は、経験したことをありのまま書くことにした。というよりも、書かないと記憶が長持ちしない私は忘れないようにするために、こうするしかないのである。
ともかく、晴天だった。
淡路島が祖父の故郷だったことから、私は何度も家族のお陰で淡路島を訪れることが出来た。淡路島と本州を繋ぐ大きな長い橋は、真っ白で骨のようだった。しかし、船が近づくと真っ白ではないことが分かる。
ゆっくりとゆっくりと、私は携帯端末を掲げて動画を取りながら橋の下をじっと見ていた。通り過ぎたらすぐさま日傘をかかげて、日差しの痛みに耐えながら船に戻った。
動画を止めて私は母に動画を送った。
喜ぶだろうか。いつも上を通るばかりだから新鮮に映りはしないかな。
しかし、もう海のど真ん中だからか私のタイミングが悪いからなのか、LINEで送った動画は「再送してください」と表示されていた。そして、明石大橋の下を通ったと思った私はひと眠りし、船が小豆島についたとアナウンスがあってから、ようやく起きた。
恥ずかしいが、私は「小豆島」をアズキトウと呼んでしまったことがある。昔ではなく、つい三日前の話である。小豆島が観光地で有名なこともあり、多くの方が船を下りて行った。
引いていく人波を眺めながら、売店で饂飩を食べようとぼんやり考えていた。しかし、饂飩の販売は小豆島から高松行きの航路では販売しないことを後になって知るのである。
しかし、私がドジなお陰で私はオリーブポップコーンを口にすることが出来たのだった。

小豆島はオリーブやレモンが美味しいと聞いた。
私は、今年か来年か分からないが、次は小豆島でキャンプや釣りをしてみようと思う。
そして、全然旅行記が書き終わらないことにいま気付いた。
また時間がある時に考えを整理してこの旅行記を終わらせたい。
次は、高松に着いてからのことを綴っていく。
初めて乗ったクロスバイクのことだ。
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