香川文フリ2①の続きです。
フェリーから高松港到着まで

(上記の写真は瀬戸内海に浮かぶ小島の一つです。かの有名な那須与一が平家の扇を矢で撃ち抜いた源平合戦屋島の戦いの舞台だとアナウンスしておりました。)
前回何を書いたのか、たかが三日前程度のことだったが記憶が曖昧なので少し見直して、またここのページに戻ってきた。話は変わるが、この話を書く前にHPのスタイルを一変した。それは、Netflixのオリジナルアニメ「サイバーパンク:エッジランナーズ」を観て、なんとなくそのアニメっぽい雰囲気に変えたいと思ったからである。
脱線した話を戻そう。
私は結局、あれだけ食べたいと思っていた香川の饂飩をフェリーで食べることが出来なかった。
無念としか言いようがない。
饂飩は神戸港から高松を経由する間しか食堂で販売していなかった。
軽く絶望し、フェリーの風にあたり、私はオリーブポップコーン(500円)とレモンジンジャー(600円)を注文し、人の少ないフェリーの食堂でぼんやりして時間を潰した。
船の上にも何度か出たが、船の外に出る際は注意が必要だ。船内はとても穏やかではあるが、船上は風の流れをじかに感じる。出るときも入る時も、指を詰めないように扉の開閉には気をつけるしかない。窓の外からでもかなり早く感じるのは、Googlemapからでもよくわかる。
Googlemapでは、船上の動きが点線になって記される。時折電波が届くようになると、思いの外速度があることに気づかされるのだ。
ぼやぼやしていても、船はしぶきをあげて目的地へと明確に進んでいるのだった。
小豆島でほとんどの人が下船した。
自由スペースで右に居た若い女性は家族と降りたのだろうし、左に居た気の良さそうな一人旅風の女性は別の人に変わっている。船内の騒がしさも消えており、私は小豆島は人気の観光地なんだなと再認識した。今度釣りやキャンプに出掛けるのも良いかもしれない。
小豆島から高松港に到着し、やはり眠気に負けていた私はすぐさまキャリーケースを抱えながら出口に向かった。カンカンとうるさい階段を必死で降りると大きな出口の前に船員がいた。白髪の老齢の男性ではあったが、肌は日差しで焼けており背筋はピンといている。痩せているのではなく、引き締まった背中は服の上からでも分かった。そして、彼の奥にエレベーターがあるのも見えて、私は疲れがどっと出たのだった。事前の調べが足りていなかった自分を恨むしかない。
高島に上陸し、毎回ほどける靴紐を結びながら高島駅行きのバスの列に並ぶ。有り難い。無料だった。年を重ねるごとに強くなる日差しにうんざりしながら、悪い癖で携帯をいじった。子どもが母親におんぶをせがむが、何度もそのやりとりをしていて親御さんは大変そうだった。
おんぶしては下ろし、おんぶしては下ろし。
私は待ち時間の間で考えていた。
到着が十三時。予約しているレンタルサイクルの時間が十四時だ。
旅の導線を考える。一度泊まる予定のホテルに荷物を預けたかったが、難しいだろう。私はこの旅の重きを「文学フリマ」と「サイクリング」に置いていた。サイクリングの時間は出来るだけ確保したい。日光対策も万全にしたし、金はかかるが預けるしかないだろう。
そんなことを考えていると、バスが到着し私ははた迷惑な大きさのキャリーケースを持ち込み、座ることも出来た。周囲を見渡し、なんとなく親近感を覚えた。理由は乗客の服装だけで分かった。聖飢魔Ⅱのシャツを着ている人がチラホラ。漂う高揚感。私は調べる必要もないのに、携帯で香川のライブ状況を確認して確信を得た。
ライブ前の高揚感は、居心地が良かった。自分が行くわけではないが、私も音楽ライブが好きなのでその楽しそうな感じがわくわくした。
バスが高松駅に到着し、あてどもなく歩いていると荷物預かり所がちょうどよくあり、私は人の良さそうな従業員に荷物を渡した。500円は破格だった。
身軽になった私は十四時まで時間があると分かると、意気揚々とうどん屋を探した。明日、文学フリマ香川2が開催される高松シンボルタワーに向かった。残念ながら、うどん屋は並んでいたので「四川飯店」の担々麺セットをゆっくり食べることにした。
高松でのはじめてのごはん

この日は香川の饂飩を食べることはなく、二食続けて別の店で担々麺をたべることになる。今この時点で何も知らない私は、次こそは並んでいるうどん屋に行くぞと考えてはいるのだが、明日もそのうどん屋は並んでいるので結局口にすることはない。
辛さをエンジンが如く調味料を足しながら担々麺を啜り、肉と汁をご飯に自分の塩梅で混ぜつつ掻き込み、店員の方に「ごちそうさま」と告げて店を後にした。
携帯社会に盲従する私はGoogleの言いなりになり、「ジャイアントストア高松」を探してうろうろした。何度行ってもホテルのビルしか見えなかった。高松の陽炎か蜃気楼に騙されたんじゃないかと茫然としていると、やはり私は詰めが甘く、太陽の日差しから隠れるようにサイクリングストアはあった。普通にあった。
緊張しながらレンタル予約した件を告げ、意味も分からず付けたオプションを外してもらい、丁寧にクロスバイクの講習を受けた。実質十分もかかりはしなかったが、購入も検討していた私は感動しながらハンドルのグリップを握った。
「ヘルメットは義務ではありません。つけられますか」
腰の低い従業員に告げられ、私は即答した。
「絶対につけます」
そそっかしい自分は絶対に怪我をするし油断するので、頭を守る装備は必需品であった。
屋島を一日で回りたいと言うと、従業員の方は「いけるだろう」と言ってくれた。それだけだが、少し不安であった自分は胸のつかえがとれた気がして、意気揚々と外へとペダルをこぎ出したのだった。
屋島へのサイクリング

(上記の写真は店でレンタルしたGRAMMEである。従業員の方が店に戻ったのを確認してからこそこそ撮ったのである。)
屋島を一周するルートはサイクリングでお勧めルートなので良いとネットに書いてあったので、私は特に何も考えずそのルートを選んだ。サイクリングは元々してみたいと思っていたので、日焼けと熱中症対策だけ怠らなかった。
ジャンボストア‐水城通り‐瀬戸大橋通り(詰田川下橋、屋島大橋)‐屋島公園線
このルートでおおまかに一周出来たら良いな、とペダルをこいだ。
甘かった。私は屋島大橋を超えた後、高松北バイパス店のファミリーマートに駆け込んだ。そして、迷いなくアクエリアス2リットルとアイスボックスのアイスを購入して、イートインコースに腰を下ろした。
窓外では青空が広がり、私はアイスボックスを揉むのも忘れて蓋を取り、アクエリアスを投入して一息に飲んだ。
フ―ッ、息を吐くと全身の熱が少し出る。少しだ。また同じ動作をする。
熱が体から逃げないので、私はうんざりして呼吸を整えた。
店内ラジオが軽快に告げる。今日は熱中症警戒アラート発令中だと。「今日は」ではなく「今日も」だったか。去年からよく耳にする単語だが、全身で体験すると非常によくわかった。
じりじりとした熱は服の表面などたやすくすり抜け、私は段々ゆで卵になっていく。それがわかって、いち早くこの素晴らしいコンビニエンスストアに駆け込んだ。
何度か熱中症にかかったことのある者は分かるが、あの虚脱感は半端ではない。自分の体が操作できない辛さを、家にも帰れないいま起こすわけにはいかなかった。
自転車を借りて一時間も経たず、私はコンビニで二時間も涼んだ。
二時間後、やはり自転車以外移動手段がないので私は日が傾いてきた瞬間を狙って外に出た。
屋島公園線にのり、人の居住区を抜けながら私は長崎の鼻を目指した。
屋島から見た景色

(上記の写真は道中で撮影した。屋島の対岸からの撮影。)
結論から言えば、私は目的地である「長崎の鼻」には到達できなかった。
自転車に乗っていると、むき出しの体に風を強く感じる。傍を車が通れば、鉄の塊が時速六十キロ以上で進む風を、直に感じた。恐怖もあれば、解放感もある。私の目的は岬に行くことではなく、返却時間に間に合うことだけを考えていた。勿体ないと思われるが、ろくに調べもしなかった自分の落ち度と思うしかない。
自転車は上り坂から下り坂になり、道中スーパーマーケットに寄って、私は来た道を戻った。
沈みに向かう間が一番太陽の日差しが厳しく感じた。特に厳しいのは、沈みゆく太陽に向かって進むことだった。
牛と恐竜の奇抜なオブジェのある建物を通ると、胸がすっとした。近い。橋を渡った瞬間ではなく、景色を楽しめる自分に気づいてホッとした。
携帯を逐一確認しながら道を見ていた自分からようやく解放される。
私は、へとへとになりながらも従業員に自転車を返却した。
「どうでしたか」
恐らく、パンクなどの故障はなかったかと私に確認したのだろう。
「楽しかったです」
間髪入れず私は言った。やせ我慢か、違う。
困難が楽しかった。私だけの困難と喜びと、風と恐怖だった。
屋島の道は舗装されている箇所でも林が多く、聞いたこともない声が耳に届いた。左右から襲い掛かるように、虫や鳥の声がやってくる。ほとんど悲鳴だった。ぎゃあぎゃあ、わあわあ。はしゃいでいる若者の声ではなく、喚き声。
あの時間は、説明しても体験した人にしか分からない。
真っすぐな道やカーブを慎重に進む、ハンドルを握る手の疲れ。
次は地図を用意しよう。読めるようになって、今度は自分の自転車を買おう。景色を楽しめるだけの余裕を持ってみたい。
夕食はまたもや担々麺

(上記の写真は高松symbolタワーの店での写真。冷製担々麺はとてもさっぱりしていた。)
自転車を返却し、夜ご飯を食べて、バカでかいキャリーケースを引き取り、私は高松駅から木太町に向かった。誤算だったのは、木太町にはICカード決済がなく現金対応のみだったことだろう。
ガラガラとキャリーケースを運ぶ道中、私は日傘を失った。どこで紛失したか分からないが、今このブログを書いてる私の手には別の日傘しかない。
穏やかな景色

(上記の写真は、ホテルに向かう道中の写真だ。この時はまだ日傘を持っていたように思う)

(鳥を発見したのでズームにした。シラサギだろうか)
ホテルに到着し、私は「明日が本番だ」と思い直した。
急いでシャワーを浴び、母に連絡し、重たい体をベッドに横たえる。
いろいろしたいことはあったが、今は休みたかった。
テレビを無意味につけ、ニュース番組で天気の情報を浚っていった。八月は戦争の話題が大半を占める。今年の二月に訪れた広島のことを思い出す。初めて行った平和祈念資料館では、人の少ない映像ブースに二時間ほどいた。
明日は文学フリマの設営ボランティアに参加したいので、朝食は六時半からとろう。
頭の中でいろいろ考える。
明日には文学フリマに参加してフェリーに乗って帰り、そして仕事に行く。
初めて文学フリマに参加した時には、広島や香川に行くなんて思いもしなかった。遠くても京都ぐらいだったろう。しかし、このイベントがあったおかげで、私は色んな所に理由をつけて旅に出た。これからもそうして行けたら素晴らしいことだろう。
そして、そして。
考えていくと、いつの間にか意識が途切れていく。
その日は夢を見なかった。
朝が早かったからかもしれないが、追われる夢はその日見なかった。
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