※この内容は死に関する内容ですので、繊細な方はご注意ください。
どことなく常に辺りから死の匂いが立ち込めていた。
「幼い頃に死にかけていたんだよ」と言われるたびに、「自分はラッキーだ」と思う反面「死」について考えることが多かったのかもしれない。
小学校低学年に「死」について考えることは多いらしいと聞く。調査をしたわけではないが、概念を理解できる年頃になってくると、曖昧なことを、答えのない問答を繰り返す。
「死ぬとは」「生きるとは」「時間とは」「魂とは」
死んだらどうなるんだろうと考えて布団に入ると、夜が虎になって襲ってくる。レ・ミゼラブルの歌のようだが、幼少の私は本当に恐ろしかった。
死は人を変える。死という存在は、あまりに大きな影響を人に与えてしまう。
最初は身近な人物、そして同級生、遠い身内が亡くなっていたこと、飼い犬。
身を削られるような辛さが、じわじわと私の身を浸していく。
忘れようとも忘れられないのだ。
火葬を経て灰になった体を見るたびに、「お疲れ様」と仏壇に手を合わせるたびに、写真の中にいるもう会えない確かに存在した誰かを見るたびに、
どうせ死ぬなら何したって意味がないんじゃないかと。
この広い世界で、宇宙で、誰かが生きて死んで、煩わしくて。
生きると胸を引き裂くような苦しさに何度も踏みつぶされる。それを何度も更新してくる。もうこれ以上の試練はないだろうと思っても、私の柔い心は縮れてしまう。
いつか私も死ぬだろう。
しかし、みな死ぬんだろう。
生きていればみな死ぬんだろう。
それまでみな生きていくのだ。
血が通っているならば、心臓が動いているならば。
私はようやく、「死んで消えてしまいたい」という苦しみの中から、下らない弱気から腹を据えて足を一歩ずつ出すことができるようになった。
言い訳を口に押し込め、誰に馬鹿にされてもいいだろう。
そうしてくれたのは、もういない者を含めてたくさんの人のお陰だと、そう思える。そう思えることに感謝している。
怒りに燃えることもある。
しかし、それは私の中にエネルギーがあるのだと、私はそこに生を感じてならないのだ。
油の切れた悲しいブリキ人形にならないように、努力するしかない。
末筆ご免
2026/3/17㈫ 22:23
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