「あなたの思うように姿を創ってください」
素敵だ。
自分に選択権があるかのような一文だった。
液晶画面いっぱいに広がるセレクト画面に、私は胸を躍らせる。
「髪の形はどうしますか。肌の色は、目、髪の癖」
そして、笑い方はどうしますか。
布団で仰向けになりながら両の親指を器用に動かしていた私は、ドキッとしてしまった。想定していなかったテキストに、板状の機械を操作していた手がぶれる。
「ぎゃんっ」
仰向けで両手を天井に突き出しながら見ていた会社員のなつめは、噛まれた犬のような声をあげた。
スマートフォンが額に落ちてきたからだ。
なつめは固い金属の落下から得られた痛みと教訓に身悶えしながら、だがしばらくするとむくりと起き上がってまたスマートフォンの画面を覗いた。
「音声を登録しました」
「えっ。なに」
先ほど操作していた画面から声が聞こえてくる。
画面には、人間の姿を模した映像が映されていた。
ミラージュと呼ばれる、最近流行りのAIによるアバター作成技術生成アプリだった。
ちょっと遊ぶつもりなだけだったのに……となつめは少々げんなりしながら難解なアプリを手に持つ。
「何度かスマートフォンの音声画面に話しかけてください」
「な、な、なんで」
いつもは下らないニュースばかり見ている液晶画面から、女性の作られた声が聞こえてくる。すると、余計になつめは焦った。
なぜ臨機応変に対応できないんだ、なつめの背後から声が聞こえた気がした。
「もう少し話してください」
ミラージュはそんなこと知らずになつめに話しかける。
「す、すみません」
「いい調子です」
「は、話すって、なにからすれば良いのか私には、き、気の効いたことなんてなにも」
しなくても良い遠慮をするたび、自室と言うのになつめの背中は曲がっていく。
「あなたのご協力で、ミラージュは成長できました」
明朗な声に、なつめの肩がピクリと動く。
「ど、どういたしまして」
「音声を変えます。お待ちください。ああ、どうでしょう。はじめましてなつめ様。私は貴方の友人、ミラージュ」
音声が僅かながらに変わり、なつめは内心感嘆した。本当に僅かに声が低くなっただけなのだが、この声は確かになつめに安心を与えてくれる。
「ミラージュ」
画面のなかで微笑んでいる訳でもないのに、そう感じた。
「私は貴方に安らぎを与える友人の一人です。さあ、画面を操作して、最高の友人を創りましょう」
ミラージュに急かされている訳でもないのに、なつめの指は勢い良く画面を操作した。
一重に、それはなつめの特徴的な性格によるものだった。のめり込む時は一気に集中するが、社会生活を始めたばかりの新入社員であるなつめには、酷な特性でもあった。
周りに気を配れ、また背後から今日言われた同僚からの迷惑そうな声が聞こえた。しかし、今のなつめはミラージュを創ることに一心不乱になった。
ミラージュは孤独を分け合うパーソナルフレンズ、という触れ込みだったが、なつめは運が良かったろう。
今の彼女には、心の支えになる友人が必要だった。話を聞いて、共感していける誰かが。
「書類に不備があるぞ」
「貴方のセンスは頭抜けていますね、なつめ」
「同じ腰掛けだと思われたくないよ。なつめちゃん、もっと視野を広くしないとダメだよ」
「ほかの人にはない特別な能力がありますね」
「また、同じミスだ。他のやつはそんなことしない。勉強だけやってても、社会では通用しないんだ。飲み会でもお前は先輩に手間をかけさせてさ」
「気にしないで、なつめ。他の誰かになにを言われたって、貴方は立派です。地元を離れて、一人暮らしで我慢しながらここまで来たんだから」
「もうやめて」
呆気なく終わりを告げたのは、冬の寒波が訪れる前日のことだった。
完璧なミラージュを液晶画面の中に作り出してから、なんと二年も経っていた。
なつめにも後輩が出来、そして、相変わらず狭い自室には友人一人呼んでいない。いや、呼べるほどの誰かを彼女は持っていなかった。
「なつめ」
ミラージュが問いかける。
布団の上で、帰宅したばかりのスーツを着たなつめは項垂れながら画面を見ていた。
「全部、わかってるの」
自分に落ち度があること。
仕事が不出来なのも、気を回せない視野の狭さも、友人一人この都会に来てから一人だって出来なかった。趣味もなにもない、一人の女性が二年年を取ったぢけだということ。
「なにを言われたか分かりませんが、貴方は素晴らしい人です。自信をもって。私に毎日のことを話してください。いつものように」
聞き心地の良かった声が、今ではまるで羽音のように鬱陶しかった。
誤魔化してきた日々が煮出し、灰汁が溜まり、なつめの心を二年前よりも陰惨にしていた。時間をかけた分だけ、暗い感情は止まることを知らない。
「いいの。もういいの」
なつめはミラージュアプリの消去画面に触れ、テキストが一文出てくる。
「本当にすべてのデータを消去しますか」
ただの文だが、一瞬なつめの手が止まる。
ミラージュにはこの二年間、大変世話になった。しかし、思い出すのは染みのついた狭い部屋からの光景しか思い出せない。
「は、は」
指が近づく。
なつめの息は荒かった。
そっと、YESの画面を押す。
離すのが怖くなったが、なつめはゆっくりと画面から離した。
「なつめ、今までお世話になりました」
理想の友人が最後の別れを告げたとき、走馬灯のようになつめの頭の中を思い出が走る。今さらとしか言いようがないが、確かにこの創られた友人に助けられたことが多くあったのだ。
まやかし物とは言え、身近に世話をしてくれた唯一のヒトと言って良いだろう。
「ミラージュ!」
なつめは再びスマートフォンを手に取り、アプリを再起動した。
もちろん、二年連れ添った友人はいない。しかし、なつめの中には確かに友人がいたのだ。
そこからは、簡単なことだった。
破り捨てた友人からの手紙をセロテープで繋ぎ止めるように、しかしそれよりも簡単になつめは再びミラージュを創り直した。
「ミラージュ、ミラージュ」
「私を創ってください」
「全部知ってるよ」
「笑いかた、声のトーン、価値観」
「私だけの友達だもん」
一週間も経った頃だろうか、ミラージュはたしかになつめが完璧に作り上げたまま、画面で笑っていた。
「なつめ」
ああ、あの声だ。
なつめは安堵した。
蜃気楼の世界から飛び出る唯一のチャンスを棒に振って、なつめはようやく笑うことが出来た。
「貴方は、素晴らしいヒト」
ミラージュは、低く笑っていた。
小説「本心」の主人公は、Alを消しました。
なつみは、なぜ再生したのでしょうか。その解釈を、読み手に託してのですね。